― 清水武甲氏の写真パネル、よみがえる一枚の風景 ―
このたび雪山堂にご依頼いただいたのは、長年ご自宅に飾られていた、ある一枚の写真パネルの保存額装でした。
作品の撮影者は、山岳写真の名手として知られる写真家・清水武甲氏。秩父の山並みを中心に、深いまなざしで自然をとらえ続けた氏の写真には、静けさのなかに自然の雄大さ、力強さが宿っています。
お客様、S様のお父様は、かつて高校の山岳部の顧問を務められており、そのご縁で清水氏との親交があったそうです。今回の作品も、生前の清水氏から直接いただいたもので、長らく書斎に飾られていたとのこと。しかし、経年による台紙の劣化や色褪せなどが進み、やがて仕舞い込まれてしまっていたそうです。
「武甲さん」と呼んでいた
「清水さんではなく、“武甲さん”と、家ではみんなそう呼んでいました。」
お客様は、そんなふうに懐かしそうに語ってくださいました。昨年、清水武甲氏のご子息による写真集出版の新聞記事を見かけたことが、この保存額装を検討されるきっかけになったのだそうです。
ふと自宅に残された作品を見返すと、そこには30年近く前の、あの山の記憶、あの時間が確かに残っていた。けれど、写真パネルの台紙は脆く破れ、裏面には剥がれかけた薄紙とベニヤが…このままでは飾れない。けれど、捨てるなんて、もちろんできない。
「もう一度、あの時のように飾ってあげたい。」「パネルの裏に書かれたサインごと、写真パネルのまま、額装したい。」
そんな想いが、今回の保存額装のスタートでした。
長年飾られていた清水武甲氏の写真パネル。台紙は破れ、薄紙が浮き上がっていました。
ダメージを超えて“守りながら飾る”ための工夫
今回の作品は、木製パネルに写真が直貼りされている仕様。
この為、
・紫外線による退色
・台紙の脆弱化
・木製パネルからの酸性物質の発生
・湿気と乾燥の繰り返しと、気流による反り
など複数のリスクが重なっていました。
そこで私たちは、「保存額装(Preservation Framing)」の考えに基づき、以下のような多層構成で保護しました。
【保存部材】UVカットアクリルから裏板迄
保存額装では、こうした専用素材を層状に組み合わせることで、作品を「守りながら飾る」ことができます。
📌 UVカットアクリル板
表面には紫外線を約99%カットする高性能アクリルキャストを使用。光による退色を防ぎます。
📌 悪性ガス吸着ボード
写真とマットの裏側には、空気中の有害ガスを吸着する、Ph8.9±0.4に保たれた100%コットンラグ素材を設置。酸化劣化を抑制します。
📌 軽量アルカリ緩衝ボード
無酸でリグニンを含まず、アルカリ緩衝剤でpH7.5~9.5に調整されています。劣化=酸性化を遅らせます。
📌 調湿シート
多湿の場合は吸湿し、乾燥の場合は放湿して、額縁内の湿度を調整する、無機系の天然素材で、調湿の他、防カビ・防ダニ・抗菌・消臭効果もあります。
📌 三層構造のバックボード
額の最背面には、軽量かつ剛性のある三層構造のバックボードを用いて全体の安定性を確保しています。
📌 フレームバリアテープ
木製額から発生する酸性物質を遮断するため、フレーム内側すべてにアルミ+弱アルカリ性紙のテープを施工。
木製額から発生する酸性物質を防ぐため、内側には弱アルカリ性紙+アルミの「フレームバリアテープ」を丁寧に施行。見えない部分にも、保存へのこだわりがあります。
これらの構成により、古い写真でもできる限りダメージを進行させず、美しさを保ちつつ、写真パネルごと額装することが可能になります。
そして、ふたたび
修復と保存額装を終えた作品を前に、S様は今回の額装を選択して良かったという安堵感とも思える表情を静かにたたえておられました。
また、少し戸惑ったご様子で、こう話されました。
「どこに飾ろうか、まだ迷っているんです。やっぱり元の書斎に戻すのがいいのかも…」
その言葉には、かつて家族と共にあった記憶と、作品への深い愛情がにじんでいました。
額装によって生まれ変わったこの作品は、単に“綺麗になった”というだけではありません。お父様と清水武甲氏のつながり、ご家族の記憶、そして山への敬意を包み込みながら、次の世代へと受け継がれる価値を宿しているのです。
保存額装は、思い出を守るための“技術”であると同時に、“心の橋渡し”でもあります。
時を超えて再び飾られる一枚の風景。その佇まいは、きっとこれからも、ご家族の物語を静かに語り続けてくれることでしょう。